忘れじの言葉

 

 忘れじの 行く末までは 難ければ

今日を限りの 命ともがな

 (「いつまでも忘れない」という言葉が、遠い未来まで変わらないというのは難しいでしょう。だから、その言葉を聞いた今日で命が尽きてしまえばいいのに。)

                           -儀同三司母『新古今集

 

 皆様こんばんは。

本日は短い投稿になります。

皆様は、幸せ過ぎて今死ねたら幸せだと思ったことはありますか?僕はあります。

今日が人生最後の日でいい、今日以上に幸せなことなんてない、そんな風に思ったことがあります。

 

 先日友人Tから、「今が最高潮で、この先の人生体力も気力も知力も衰えていくんだって思うとすごい怖くなった」という話を聞きました。今はまだ「向上している感覚」があるから怖くないのですが、その先を思うと、確かに憂鬱になります。

きっと違う感覚で物事を見ることができるようになり、自尊心や幸福が湧いて出てきてくれると信じたいのですが…。

 

 未来に何が起こるかわからない、ということを、希望をもって見るのか、それとも不安や恐怖を抱いて見るのか。すべての先に「死」という変わらないものがあるのであれば、前者であり続けたいと願うばかりです。

 

 人の心も、体も、季節も、環境も、状況もすべて変わっていく。変わっていくということだけが変わらない。だからこそ「今日死んでしまいたい」と思えるほどの幸福にめぐり逢えた瞬間を尊く思えるのでしょうね。

ちなみに、私は百人一首の中で上記の歌が一番好きです。まっすぐで、情熱的なのに、不思議なほど現実を冷静に見つめた恋の歌だと思います。「忘れじ」の言葉をもらえてうれしく思っているけど、本当にできるとは思っていないところとか。僕が平安時代に生まれていたら確実に儀同三司母に恋してた自信があります(?)。

 

 本日はこのあたりで。

До встречи!