シュトーレン

 

 

*注意

どこにもいけなかった自作小説です。

苦手な方は全力で回避してください。

そのうち消します。

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 「シュトーレンて、知らん?」

シュトーレン?」

「なんか、パンみたいなやつ。ケーキとはちょっと違うんやけど」

「知らんね。甘いん?」

「いろいろ入ってて。ドライフルーツとか。ドイツかどっかのお菓子で、クリスマスまでに、すこぉしずつ切って、食べてくんて。ちまちま」

ちまちま、という言葉が心地よくて、私もついちまちま、と繰り返した。彼の目が嬉しそうに細まる。そう、ちまちま、と嬉しそうに反復した。

「あれ、高いんやけど、美味しくって。よかったら一緒に食べん?」

「食べる」

即答すると、彼は無邪気に満面の笑みを浮かべて頷いた。どこに売っとるんと聞くと、知らん、パン屋とかじゃない?と適当な返事で、私は探すのが億劫だからとインターネットで北海道の二千円くらいするシュトーレンを購入した。彼は値段に目を丸くしていた。私が折角だし美味しいものが食べたいの、と言うと、らしいわ、と、なんだか微笑んだ。

すべてが温もりに満ちていた、あの空間で。

 

 あれはもうずいぶんと前の話になるのか。

ふとスーパーで見かけたシュトーレンが海馬に直撃。思い出が洪水のようにあふれ出て、私は溺れて窒息しかけた。私の思考が今の私を外れて過去へ飛ぶ。望んでなんかいないのに。

 すっかり忘れていた。本当にたった今思い出した。シュトーレン。甘くて舌の上でしゅるしゅると溶けていくような感触。思っていたより固くて、切るとき少し笑ってしまった。美味しいから食べ過ぎないようにと薄く切って、でも美味しいからと2枚食べてしまう、そういう日々だった。ああやって少しずつ時を食べてゆくのはひどく幸せだった。

 

 彼にとっては、そうじゃなかったとしても。

 

 シュトーレンを手に取ると、ずっしりと重たかった。そう、この重さ。パンのような軽やかさと違う、このみっしりとした重さ。これを私は好きだった。少し買おうか迷って、財布の中に600円しかないのを思い出す。ああ、これでは買えないな。そっと箱に戻した。次にお金をおろした時に買おう。また今度。

 

 スーパーを出るとすっかり暗くなっていた。午後7時、家族連れやおじいちゃんおばあちゃんが買い物袋を持って夜道をまっすぐ歩いてゆく。車のライトはきらきら光り、夜でも明るさが絶えない。人の声がたくさん集まると、それは「日常の音」になる。それは会話ではなく、例えば鳥の声とか川のせせらぎみたいなものだ。あって、当たり前で、安心する。煩わしくない。ここはそうあるべき場所だ、という気がして安堵する。

 

 たくさんの日常を横目に、一人買ったばかりの重たい荷物を抱えててこてこ歩く。息はまだ白くないから、指先がちょっと冷えるけど不快になりすぎない。久々に履いたブーツがかつかつとアスファルトにぶつかる音が耳に心地いい。「俺、ヒール音好きやねん」。歌うような彼の声がよみがえって、口の中が少し苦くなった。

 

 シュトーレン、みたいな日々を重ねていた。いつかなくなるとわかっていて、少しずつ薄く切って口に入れていくような、消費していくような日々だった。彼には、私のほかに好きな人がいた。私よりずっとずっときれいで優しく、才能のあるひと。私はその人が嫌いだった。妬ましくて羨ましくて嫌いだった。でも嫌いというより、やっぱり、憧れで、羨ましかった。ただただ嫉妬していた。彼と一緒にいればいるほど、彼がその人を好きだってことがわかってしまってどうしようもなくて、でもこうしてそばにいられるならそれでいいと本気で思っていた。時々厚く切って幸福を味わった。クリスマスには思ってよりも余っていて、2人でにこにこしながら食べた。美味しかった。美味しいものには幸せがつまっている。

「ほんまに美味しそうに食べるよな」

「本当においしいからね」

そういう何気ないやりとりに、ふっと涙が出そうなほど幸せで満ちていたから。

 

 スーパーを少し離れ、すっかり廃れた商店街へと足を向ける。今までここに存在していた人々の営みが、すべてあそこにぎゅっと凝縮されてしまったのだと思うとほんのり寂しく、あそこがまるで箱庭のように思えてくる。それぞれがそれぞれの箱庭へと赴き、帰り、道はただの道となる。過程を大切にしているようなこの商店街というものが、私はとても好きだったのだけれど。今、道はただの道でしかない。

 そう。過程がどうであれ結果が悪ければすべて悪くなってしまうようなあのやるせない感覚が嫌いだった。結局、見事に私はふられてしまったのだ。たくさん愛して、たくさん尽くしたけれど、そこに存在しているだけの彼女に私は負けた。私の努力など、彼女という存在自体には何ひとつ勝てはしなかったのだった。人の心って薄情だ。ままならなくて切ない。だったらちゃんと最初から断ってよ、と私は叫びたかった。そして愕然とした。私は彼と一緒にいられることが幸福だと思っていたけれど、本当はそうじゃなかったのだ。私は彼が欲しかった。すっかり食べてしまいたかったのだ。

 

 そういう経験を経て、彼と別れた後も、1年くらい彼女と同じ場所で時間を共有して、嫉妬と劣等感で気が狂わんばかりになって。そこから抜け出した今でも、不意に自己嫌悪に陥ることがままあった。彼への恋心が絶えても、彼との思い出が薄れても、嫉妬心と劣等感は燃え盛り続けている。難儀だ。消化不良のものをいつまでも腹に抱えているよに気持ちが悪い。美味しくないものを飲み込んだんだから当たり前だ。でも吐き出すわけにもいかない。私が食べたのだから、消化して、吸収して、私の一部になるまで待つしかない。

痛みを飲み込んで、ぎゅっとつぶす。彼女の顔、彼の顔、過去、確執、私の海に流れ込んできたすべてを一つずつつぶしていく。嫌い、きらい、嫌い、いなくなってしまえ。でも本当に嫌いなのは、私自身。嫌いなのは、私自身なのだ。

 

 私が本当に欲しかったのは。

 

 電池が切れたみたいに足が止まった。家まであと5分もない。でも踵を返す。私はこれからシュトーレンを買いに行くのだ。あの甘さ。あの、ちょっとずつ、ちょっとずつ、毎日少しずつ自分へご褒美を与えるかのような日々。頑張ったら頑張っただけ愛されるとかたくなに信じ続けたあの日々。記憶のずっしりつまった思い出の食べ物。重たいのだ。時間をかけて食べるものだから。傷まないようにしてあるのだから。すっかり食べきってしまおう。噛んで、砕いて、飲み込んで、私の一部にしてしまうのだ。

そして、新しい年を迎える。

 

 音が響く。軽やかな音。そして近づいてくる明るさと喧騒。洪水が起こった後のぐちゃぐちゃの心を丁寧にひとつずつ片付け、乾かす。すべてが元通りにはならないけれど、でもシュトーレンは美味しいのだ。溺れた苦しみを味わっても、吐きそうな痛みをお腹に収めても、今が過去を押しやってしまっても、それだけは忘れたくない。

 

 クリスマスまでちまちまと、思い出を消費していこう。彼はもういない。彼女ももういない。このやるせなさはどこにもいけない。でもここにはシュトーレンがある。そういうことだ。私にはあるものしかない。私の手に入るものはすべていつかなくなってしまう。それでもいい。何度でもシュトーレンを買おう。いつか本当に欲しいものがわかるまで、何度でも。何度でも。

 

 230gの日々。

私の幸せはここにある。

忘れじの言葉

 

 忘れじの 行く末までは 難ければ

今日を限りの 命ともがな

 (「いつまでも忘れない」という言葉が、遠い未来まで変わらないというのは難しいでしょう。だから、その言葉を聞いた今日で命が尽きてしまえばいいのに。)

                           -儀同三司母『新古今集

 

 皆様こんばんは。

本日は短い投稿になります。

皆様は、幸せ過ぎて今死ねたら幸せだと思ったことはありますか?僕はあります。

今日が人生最後の日でいい、今日以上に幸せなことなんてない、そんな風に思ったことがあります。

 

 先日友人Tから、「今が最高潮で、この先の人生体力も気力も知力も衰えていくんだって思うとすごい怖くなった」という話を聞きました。今はまだ「向上している感覚」があるから怖くないのですが、その先を思うと、確かに憂鬱になります。

きっと違う感覚で物事を見ることができるようになり、自尊心や幸福が湧いて出てきてくれると信じたいのですが…。

 

 未来に何が起こるかわからない、ということを、希望をもって見るのか、それとも不安や恐怖を抱いて見るのか。すべての先に「死」という変わらないものがあるのであれば、前者であり続けたいと願うばかりです。

 

 人の心も、体も、季節も、環境も、状況もすべて変わっていく。変わっていくということだけが変わらない。だからこそ「今日死んでしまいたい」と思えるほどの幸福にめぐり逢えた瞬間を尊く思えるのでしょうね。

ちなみに、私は百人一首の中で上記の歌が一番好きです。まっすぐで、情熱的なのに、不思議なほど現実を冷静に見つめた恋の歌だと思います。「忘れじ」の言葉をもらえてうれしく思っているけど、本当にできるとは思っていないところとか。僕が平安時代に生まれていたら確実に儀同三司母に恋してた自信があります(?)。

 

 本日はこのあたりで。

До встречи!

 

人魚姫の愛

 

 重ねたこの手を 今度は離さない

 信じる力が 愛を自由にする。

 奇跡を待つより この手をつなぎたい

 信じる力が 私を自由にする

              -アンジェラ・アキ『This Love』

 

 気が付けば11月になりましたね。

更新が遅れてしまいました。今日こうして投稿できたので、ひとまずはやめなかった自分をほめておこうと思います。よしよし。

しばらく空いてしまったせいで、こちらのブログでどのような言葉遣いをしていたか思い出せず、これまでと少々乖離があるかもしれませんが、どうかご容赦くださいませ。

 

 皆様、「人魚姫」を読んだことはおありでしょうか。王子様のために何もかも投げ捨てて人間になったのに、報われず泡になってしまう悲しいお話です。

高校の時に、友人Mに「王子様結構くず」との感想をもらい、いやいやまっさかー、と思い初めて読んだのですが、

「ぼくが、いつかお嫁さんをえらばなければならないとしたら、いっそのこと、おまえをえらぶよ。ものをいう目をした、口のきけないすて子の、かわいいおまえをね」

王子はお姫さまの赤いくちびるにキスをしました。そして、お姫さまの長いかみの毛をいじりながら、お姫さまの胸に頭をおしあてました。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン『人魚姫』(青空文庫

のくだりでうおおいマジだったよ、と唖然としました。怒りに震えました。

なんで気を持たせるような真似をするんだ。というか、好きでもない人を腕に抱くんじゃない。しまいには「お前も僕の幸せを喜んでくれるだろう?」とかって言いだすもんだから、サイコパスかな??と思いました。

私が人魚姫の友人だったらまず間違いなく殴るか、王子様の相手の女性にあることないこと吹き込んで仲を引き裂いてやりますね。

 

 高校時代の苛烈な思い出はさておき。

幸いなことに、僕は多くの素敵な人とめぐり逢うことができ、この四半世紀の間で、結構いろんな恋をしてきました。近所の4つ年上の人への初恋、高校時代の3年間の片思い、大学でのDV予備軍彼氏と二股男彼氏との出会いなど…(途中から意識が遠ざかる)。

以上の経験を経て、改めて人魚姫を読み返したところ、高校時代とは少し違った目線で物語をとらえることができました。やっぱり王子様への怒りはありますが…。

 

 第一に。「恋って、こういうものだよね」という理解が生じました。

相手のために何もかも投げ出しても、尽くしたとしても、その分愛情が返ってくるとは限らない。まさしくすべての努力が泡になるような、一種の賭けのようなものです。でもそれは決して理不尽というわけではありません。恋した相手が自分の胸の内を知らないのも、努力を知らないのも、当然のことです。相手が自分に思いを向けてくれないのだって当然のことです。相手は一人の人間なのですから。

 か弱い足は、するどいナイフでつきさされるようでしたが、いまはそれを感じないほどに、心のきずは、もっともっと痛んでいるのでした。
 お姫さまには、よくわかっているのです。今夜かぎりで、王子の顔も見られません。この王子のために、お姫さまは家族をすて、家をすてたのです。美しい声もあきらめたのです。くる日もくる日も、かぎりない苦しみをがまんしてきたのです。それなのに、王子のほうでは、そんなことは夢にも知らないのです。 -同上

恋ってきっと、こういうものです。例えば王子様が彼女の健気さを知ったとしても、彼女のことを好きになったでしょうか?僕はならなかったんじゃないかな、と思います。

 

 第二に。「人魚姫は、愛するということを知ったのだな」と思いました。

愛する、という動詞は人によって大きく定義が異なると予想されるため、以下、僕の定義を提示しようと思います。

「自分自身のために相手のことを考え、真心を込めて尽くすこと」。

物語の中で、僕が最も心打ち震えたのは、人魚姫が、王子様のことも、王子様の花嫁のことも、一切恨むそぶりも妬むそぶりも見せなかったところです。

彼女はほほえみを浮かべて踊り続けました。心の傷が痛んでも、ほほえみを崩さず踊り続けました。王子様が夢の中で花嫁の名前を呼んでも、ナイフを海へ捨てて、泡になって海に溶けました。怒り狂って刺し殺すことも、さめざめと泣きとおすこともできたのに、彼女はどちらも選ばなかった。

 僕はここで、姫の家族のことを思うと胸が痛みますが、同時に、彼女の聡明さと深い愛に震えます。王子様に会うために何もかも捨てたことは、王子様に会いたいという自分自身の目的のためだったということ、苦しみをがまんしたのも王子様に愛されたいという自分のエゴのためであったということをちゃんと理解していた。納得し、受け入れていた。だからこそ彼女は「ただ死ぬことだけを思っていた」。

 

 第三に。「人魚姫は救われたんだな」と思いました。

アンデルセンは最後、「魂を授かる」ということを希望として物語の結びとしています。愛して、愛して、愛しぬいた。人魚姫は両思いになれなかったし、王子様から彼女が望んだ形で愛されることもなかったけれど、最後に自由になった。彼女が本当に憧れていた「魂を得る」という望みをかなえることができた。

報われなくてもいいから、と、思った。 瀬田の想いが、塚本美登里の想いが、間島昭史の、私の想いが、どうか救われますように。 その先に、光がありますように。願った。願った。-西加奈子『白いしるし』

  上記は私の好きな本の一節ですが…。

上記の言葉をお借りするならば、人魚姫は、報われずとも、救われたのだ、と言えるかもしれませんね。

 

 気が付けば2千文字を越しました。思ったより熱く語りすぎてしまった…。

人魚姫は、恋をするということの本質を見せてくれる物語だと勝手に思っています。尽くしても報われない。愛しても愛されるとは限らない。今は幸せでも、長くは続かないかもしれない。それでも、愛する。彼女は自分の舌を捧げるときに覚悟を決めたのでしょう。自分の人生をかけて愛する、と。

 

 愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。- ユーリッヒ・フロム『愛するということ』

 

 今回はこのあたりで。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

С любовью.

つらつらと

 

 「もし人生が君を裏切ったとしても

  悲しまないで、怒らないで。

  気がふさぐ日にはおとなしくしていよう

  心が晴れる日はきっとやってくるから。

  心は未来に生きている。

  今は物憂くとも

  すべては束の間に、すべては過ぎ去り

  過ぎたことは愛おしく思えるだろう。」-プーシキン

 

 

 皆様、こんにちは。本日は短い投稿です。

 

僕がこの世に生まれてから四半世紀。泣かないホトトギスを殺してしまうお殿様の基準でいくと、私の人生は残り半分ということになりますね。

祖父母や親の敷いてくれたレールに乗っかって、これまでそれなりに順調に進んでいた僕は、社会というまた別種のレールが敷かれた世界で、見事に脱線しました。

脱線直後は、自分という列車を規格外の場所で走らせ続けることがあまりにつらく、「脱線した」という事実に対して思うところはなかったのですが、最近になって思いを馳せることが増えてきました。

 

 「もとのようには戻れんよ。一生付き合っていくしかない」。友人Hに言われた言葉です。確かに、一度壊れたものは、元には戻らないでしょう。修理をして再び走れるようになったとしても、それは以前の状態に戻ったというわけではない。この事実、わかっていたつもりだったのですが、改めて言われると結構心に刺さりました。

 僕は以前のように元気いっぱいには戻れないのでしょう。それでも、うまく修理すれば、きっと前よりもよくなることができる。そう信じたいと思います。いまはまだ言葉が胸に刺さって痛いのですが、こういう日は、じっとおとなしくして、土砂降りの心が晴れるまで待とうと思います。

 

 10年前の僕が、脱線した私を想像できなかったように、10年後の私も、今の僕では予想もつかない状況になっているのでしょう。そこにたどり着くまでに、壊れては直し、壊れては直しを繰り返して、前のように動けなくても、前よりもよりよく動けるように、自分を見つめ直していこうと思います。

 

 最後、プーシキンと同じくロシア作家のトルストイの小説『光あるうち光の中を歩め』からの引用で締めたいと思います。

「人生においても大きいものも小さいものもなく、存在するものは、ただまっすぐなものと曲がったものばかりじゃ。人生のまっすぐな道に入りなさい」

 

Bcero Xopoшего.

なりたい自分

 

 「人が自分自身のありのままの姿を見つめる能力、勇気を持たない限り、変化は決して起こらない」-ブライアント・マッギル

 

 

 皆様こんばんは。突然ですが、皆様は「なりたい自分」というものをお持ちでしょうか。本日は、僕の中のなりたい自分…「理想像」の変遷についてお話していきたいと思います。

 

 

 【かつての理想像】

 以前の僕は「ならなければならない自分」としての理想像が常に存在していました。具体的に例を挙げるとすると…

「人に親切でなければならない」

「好きな人はすべてを好きでなければならない」

「失敗してはならない」

「真面目でなければならない」

「年長者の言うことには従わなければならない」

など。

 大学時代、親友Kにはよく「自分で自分の首を締めあげているようで痛々しい」と言われていました。率直な物言いですね。当時は言われるたび「お前に何がわかる」と青臭い打ち返しをしていましたが、今振り返ると本当にKの言う通りだなと思います。

 「~しなければならない」の先にあるものは、いったいなんだったのでしょうか。しなかったら、どうなるというのでしょうか。僕は自分にそういった制約を施すことで何を得ていたのでしょうか。

 

 また、僕は「~するべき」という思考の持ち主でもありました。具体的な例を挙げてみましょう。

「物事は正当な手順を追って正攻法で達成するべき」

「相手のことを好きなら、自分の時間を削ってでも相手のために時間を割くべき」

「相手を大切に思うなら、相手の気持ちを思いやってしかるべき」

「時間に遅れないように来るべき」

「自分勝手な行動を慎んで仲間に貢献する行動をすべき」

など。

 「~すべき」の根拠となるものは、いったいなんだったのでしょうか。がちがちに固まった手前勝手な価値観だったようにも、偏見だったようにも思います。たとえ根拠があったとしても、自分や他人に制約を施したところで何になるというのでしょうか。何を目指していたのでしょうか。ただただ自分が苦しいだけだったように思います。

 

 私は、小学校から高校までは、祖父母と父の提示した枠を、大学時代は外枠のはっきりしていない制約を守ることが、自分の理想の姿であると信じて疑っていませんでした。

 

 

 

 【「理想像」という制約】

 最近とある経験をいくつか経て、初めて、窮屈な自分に気が付きました。

ありていに言えば、めちゃくちゃ、しんどかったんです。

自信も育たないし、あれもだめ、これもだめ、あれもできない、これもできない、そんな気持ちばかりがぐんぐん伸びていきました。どうしてそうなんだろう、と考えた結果、「なりたい」自分が存在しないことを突き止めました。

 

 理想に向かって前向きに取り組んでいると、自分がやっていたことにそこそこの誇りを持っていたのですが、よく考えると、制約の根底に「なりたい自分」がなかったのです。

「~したいなら、~しなければならない」「~したいなら、~すべき」という文脈はあってもいいのでしょうが、その前提となる「なりたい」が僕にはなかったのです。気付いたとき、めちゃくちゃ驚きました。正直唖然としました。なりたい自分ってなんだろう。自分はどうありたいんだろう。どうしたいんだろう。

 皆無だったかと言われると、そうではなかったのだと思います。もともとはきっと、「こうなりたい」が前提として存在したはず。けれど自身について思考を深めることを放棄した結果、いつの間にか、「なりたい」の手段であるはずの「~しなければならない」「~すべき」が目的になっていたのです。目標が定まっていないのに頑張り続けるのは、そりゃ、しんどいわ、と思いました。

 

 よく友人からは「理想が高い」と言われていたのですが、そもそも理想自体がなかったとは思いもよりませんでした。僕にあったのは、いつか自分が施した制約だけでした。なんてこった…

どうりで、仕事でも私事でも他者に何か指摘されたときに揺らぎやすいわけだ、とも思いました。なりたい自分がしっかりしてさえいれば、「指摘が自分にとっていいものか悪いものか」の判断がつきます。僕には「仕事のできるできない」「他人にとっていい人か否か」というフィルターしかありませんでした。「なりたい自分にとって適切か否か」というろ過装置があれば、私が飲む水の苦みが減っていたかもしれない。ここまで他人の言動に左右されなかったかもしれない、と思いました。

 

 

 

 【今の理想像】

 現在は、「なりたい自分」を模索中です。どんなふうになりたいのか、長らく放置していたせいかなかなか声の聴き取りづらい自分と話し合いながら、目標像を形作っています。近いうちに、このブログで報告をしたいなあと考えているところです。

探索方法としては

・自分の身近にいる尊敬できる人のいいところを挙げる

・自分がかつて嫌っていた人の「こうはなりたくない」という部分を挙げる

・どんなふうになれば自分を好きになれるか

の3つを採用して探っています。

 また、同時並行で、現状把握も実施中です。

今の自分はどんな自分なのか。いいところはどこで(ここを怠ると、自分自身を省みているのではなくただ責めているだけになります)、悪いところはどこなのか。

「なりたい自分」を、今の自分を批判し傷つけるための自傷行為道具にしてしまわないために、自分が本当に向上するために、現状を把握することはとても大切なことだと考えております。

 

 よりよい人間になりたい。自分の大切な人のために、自分を大切にしてくれる人のために、何よりも、自分自身のために。

 

 

 

 最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

今日ここでお会いできましたこと、心から光栄に思います。

読んでくださった方の明日が、今日よりもうんと幸せであることを願いながら、今回はこのあたりで手を休めようと思います。

またお会いできれば幸せます。

 

Спокойной ночи!

幸せの連呼

 「あなたの名前を呼べば、私は昨日のことや今日のこと、大事にされたことを思い出せる。どれだけ遠くても、暗くても、受け止めきれない乱暴に晒されて、多くの物事に裏切られた気分になっていても、悲しいだけじゃなくなるから。呼んで、唱えて、会えてうれしかったなあって繰り返しながら、私という存在の認識が終わるまで、暗闇の底で光って遊ぶ。それを、この世のどんなものにも侵させない」-彩瀬まる『朝が来るまでそばにいる』

 

 皆様こんばんは。早速目標を達成できなかったため、②に移行したうららでございます。本日もお付き合いいただければ大変幸せます。

今日は、最近幸せだったことについてつらつらと書いていこうと考えております。

 

【人とつながる幸福】

 私は現在、故郷から少し離れた、海と山に囲まれた三角州に居住しております。

先日、ずっと気になっていた居酒屋で食事をしました。地元の方にも人気のお店で、これまで何度か訪ねたのですが席が空いていない状態が続いており…。この日も、カウンター席しか空いておらず、相方と2人で座りました。

焼き魚、お刺身、てんぷらと、目に入るままを注文。店主の方のむきむきの胸筋にときめいたり、従業員の方の二の腕のむきむき具合に目を見張ったりしながら、地元の食材を堪能する素晴らしい時間がしばし続きました。相方が2杯目を注文したころ合いでしょうか、隣の席にいらした初老のご夫婦に話しかけられました。「旅行者の方?」

 常連の方からすれば、見知らぬ人がカウンターに座っている姿が物珍しかったのだと思います。相方は旅行者だったためそうですと答えます。そこから話がどんどん弾み、私の故郷とご夫婦の青春時代過ごされた場所が一緒だったこともあって、場は大いに盛り上がりました。そして最後にはなんと「またいらしたときはぜひ連絡を」と、連絡先をいただきました。

 ご夫婦のご厚意に心から感謝するとともに、人とつながる幸福を改めて実感いたしました。もし私が空腹に負けて道中のカレー屋さんに入っていれば、相方が魚の気分でないと言えば、カウンター席が空いていなければ、時間帯が少しでもずれていれば、相方が無愛想に返していれば、こうして連絡先を交換することもなかった。出会えたこと、仲良くなれたこと、すべてを尊く、すべてを幸せに思いました。

 

【人とつながり続けている幸福】

 僕には、大学1年生のころから仲の良い友人がおります。一緒に授業を受けるというわけではなく、同じ部活に入っているわけでもなかったのですが、社会人になった後も関係が長く続き、今でも1カ月に1度くらいの割合で連絡を取り合う仲です。

大学時代の友人の中には、いつの間にか疎遠になってしまった人も多いのですが、彼女だけは、なんでも話せる大切な友人として、物理的な距離は離れても、心理的な距離はずっと近しいままです。どころか年々近づいていっている気がしますし、僕は年々彼女のことを好きになっています(もっと言えば、日に日に彼女のことが好きになっています)。

 好きな相手、大切な相手が、自分を好きでいてくれて、それも一瞬ではなく、長い間好きでい続けてくれてもらえるというのは、本当に幸福ですね。環境も人格も状況も変わっていく中で、彼女はずっと僕と「つながっていてもいい」と思ってくれている(少なくとも私はそう信じています)。心の底から彼女に感謝するとともに、変わらないつながりを持つ幸福を改めて噛み締めております。

 同じ相手と何度も出会い、好きになる。なってもらえる。また会いたいと思う。また会いたいと思ってもらえる。生まれてきた意味は分かりませんしあるとも思えませんが、生まれてきてよかった、と、ただひたすらに思います。

 

【あなたといる幸福】

 冒頭の引用について。

僕はもともと、「幸せな記憶」があまり好きではありませんでした。幸せの記憶が鮮やかであればあるほど、苦しい現実に直面した時に、記憶と比較してしまって現在の苦しみが際立つと考えていたんです(早い話、贅沢に慣れると生活水準を下げられないという理論ですね)。

 でも今は、幸せな記憶を、とても愛おしく思います。私の心を支え、苦しい現実を生きていく分の勇気をくれる記憶です。思い出すだけで、「悲しいだけじゃなくなる」んです。思い出すだけで笑顔になれる出来事。思い浮かべれば胸が温かくなる人の姿。その記憶さえあれば、また次にいつか必ず感じられる幸せのために、耐えられるし、立ち向かえる。昔の私にそっと教えてあげたいです。いつか降り注ぐ苦しみに耐えるためにも、幸せな記憶を蓄えるんだよ、と。たくさん幸せを覚えておくんだよ、と。

 人と出会うと、一緒に別れがついてきます。相手に心を注ぎ、自分の中に専用の場所を確保すればするほど、失ったときに大きな穴が空きます。とても怖いことです。でも、ずっと苦しいままでいるよりも、苦しくなっても、幸せでいられたことを大切にしていく方を選びたい、と今は思います。あなたといられる幸福。あなたといた幸福。誰にも奪われない、私だけの、大切な記憶。

 

 ううん、今回はずいぶんポエムな内容になりましたね。恥ずかしい。というか、ひたすら「幸せ!幸せ!マジ幸せ!」と叫び続ける怪しい記事になってしまいました…。次回はもうちょっと、自分の趣味のこととか趣味のこととか趣味のこととかお話ししようと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

またお会いできればとても幸せます。

それではまた!

Желаю вам счастья.

皆様、初めまして。

 「ぜんぶ出し切った人の背中は、負けても光って見えるんです。私はまだそれを信じきれないのだけれど、いつか、いつか、勝利や敗北を凌駕して背中が光るような戦い方が、私にもできるかもしれない」-彩瀬まる『神様のケーキを頬張るまで』

 

 ブログの開設の初っ端から引用を引っ張ってきてしまっていいのかしら、と思いながら、一歩踏み出した自分を鼓舞する意味合いでも載せてしまいました。

初めまして、うららと申します。本日はブログを覗いてくださり、ありがとうございます。まずは自己紹介から始め、ブログ開設までの経緯などについて述べた後、最後に意気込みを述べさせていただこうと思います。

もしよろしければ最後までお付き合いいただければ幸せます。

 

 【自己紹介】

 うららと申します。地球上のどこかに住んでいるホモ・サピエンスでございます。

日本語と身体言語以外にコミュニケーション手段を持ちません。

本が多少好きなだけの、毒にも薬にも害にも益にもならないごく普通の一般人です。

 

 【経緯】

 もともとブログに興味はあったのですが、チキンかつビビりなため

①新しいことを始める

②多くの人の目に触れる可能性がある

➂内容について批判を受ける可能性がある

の3点の心理的ハードルを越えることができずにいました。

しかしこの度、「一度きりしかない人生なんだから、やりたくてできることならやった方がいい。やってみてだめならやめればいいだけ」という訓戒を友人から受け。

勇気づけられたのと同時に、やってみたいとの思いが強くなり、ブログを書き始めることといたしました。ありがとう友人R。

 

 【本ブログの目的】

 「さまざまな要因でしっちゃかめっちゃかになった自分の心を言語化することである程度整理し、自身の安定を目指す」が1番の目的です。よって、本当に「誰得…?」なブログとなる予定です。

誰でもない自分自身のために書き連ねるブログですが、いつかこれが誰かの何かに届いて、その方の何かになることができたなら、これ以上うれしいことはないな、という姿勢でいこうと考えております。

 

 【今後の内容】

  勇気づけられたそのままに見切り発車で出発してしまったため、内容は全く定まっておりません。申し訳ありません…ただの日記になってしまう可能性もあれば、かつて書いた小説を突然投稿する可能性もあれば、映画や本を考察する場所になる可能性もあります。無軌道…。

自分の心の内部にとっちらかっているものを一つずつ拾い上げていくという意味合いではちゃんとした軌道を敷いているかなと思いたいのですが、しかしやっぱり無軌道ですね。どこへ行くのでしょうこの列車。

 

 【意気込み】

 僕が最も苦手としていることの一つが「継続」です。

更新頻度を守れるかどうかが目下一番の悩みです。始めたばかりなのにすでに悩み始めているという迷走っぷりですが、しかし、目標を掲げるのは悪いことではないはずという考えに基づき以下、設定しようと思います。

①どんなに短くてもいいので1週間に最低1回(曜日は日曜日とする)は更新する

②もしできなかったとしても2週間以内に更新する

本日は高校時代から付き合いのある後輩Yの誕生日でもある非常におめでたい日なのですが(生まれてきてくれて本当にありがとう)、来年お祝いする際に、こちらのブログの生誕祭も開催できるよう、ゆるーく、地道に、コツコツ続けていきたいと思います。

 

 読み返して投稿するかどうか迷うほどの駄文でしたが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。本日ここでこうして出会えましたことをとても幸せに思います。よろしければ、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 

пока!