つらつらと
「もし人生が君を裏切ったとしても
悲しまないで、怒らないで。
気がふさぐ日にはおとなしくしていよう
心が晴れる日はきっとやってくるから。
心は未来に生きている。
今は物憂くとも
すべては束の間に、すべては過ぎ去り
過ぎたことは愛おしく思えるだろう。」-プーシキン
皆様、こんにちは。本日は短い投稿です。
僕がこの世に生まれてから四半世紀。泣かないホトトギスを殺してしまうお殿様の基準でいくと、私の人生は残り半分ということになりますね。
祖父母や親の敷いてくれたレールに乗っかって、これまでそれなりに順調に進んでいた僕は、社会というまた別種のレールが敷かれた世界で、見事に脱線しました。
脱線直後は、自分という列車を規格外の場所で走らせ続けることがあまりにつらく、「脱線した」という事実に対して思うところはなかったのですが、最近になって思いを馳せることが増えてきました。
「もとのようには戻れんよ。一生付き合っていくしかない」。友人Hに言われた言葉です。確かに、一度壊れたものは、元には戻らないでしょう。修理をして再び走れるようになったとしても、それは以前の状態に戻ったというわけではない。この事実、わかっていたつもりだったのですが、改めて言われると結構心に刺さりました。
僕は以前のように元気いっぱいには戻れないのでしょう。それでも、うまく修理すれば、きっと前よりもよくなることができる。そう信じたいと思います。いまはまだ言葉が胸に刺さって痛いのですが、こういう日は、じっとおとなしくして、土砂降りの心が晴れるまで待とうと思います。
10年前の僕が、脱線した私を想像できなかったように、10年後の私も、今の僕では予想もつかない状況になっているのでしょう。そこにたどり着くまでに、壊れては直し、壊れては直しを繰り返して、前のように動けなくても、前よりもよりよく動けるように、自分を見つめ直していこうと思います。
最後、プーシキンと同じくロシア作家のトルストイの小説『光あるうち光の中を歩め』からの引用で締めたいと思います。
「人生においても大きいものも小さいものもなく、存在するものは、ただまっすぐなものと曲がったものばかりじゃ。人生のまっすぐな道に入りなさい」