人魚姫の愛

 

 重ねたこの手を 今度は離さない

 信じる力が 愛を自由にする。

 奇跡を待つより この手をつなぎたい

 信じる力が 私を自由にする

              -アンジェラ・アキ『This Love』

 

 気が付けば11月になりましたね。

更新が遅れてしまいました。今日こうして投稿できたので、ひとまずはやめなかった自分をほめておこうと思います。よしよし。

しばらく空いてしまったせいで、こちらのブログでどのような言葉遣いをしていたか思い出せず、これまでと少々乖離があるかもしれませんが、どうかご容赦くださいませ。

 

 皆様、「人魚姫」を読んだことはおありでしょうか。王子様のために何もかも投げ捨てて人間になったのに、報われず泡になってしまう悲しいお話です。

高校の時に、友人Mに「王子様結構くず」との感想をもらい、いやいやまっさかー、と思い初めて読んだのですが、

「ぼくが、いつかお嫁さんをえらばなければならないとしたら、いっそのこと、おまえをえらぶよ。ものをいう目をした、口のきけないすて子の、かわいいおまえをね」

王子はお姫さまの赤いくちびるにキスをしました。そして、お姫さまの長いかみの毛をいじりながら、お姫さまの胸に頭をおしあてました。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン『人魚姫』(青空文庫

のくだりでうおおいマジだったよ、と唖然としました。怒りに震えました。

なんで気を持たせるような真似をするんだ。というか、好きでもない人を腕に抱くんじゃない。しまいには「お前も僕の幸せを喜んでくれるだろう?」とかって言いだすもんだから、サイコパスかな??と思いました。

私が人魚姫の友人だったらまず間違いなく殴るか、王子様の相手の女性にあることないこと吹き込んで仲を引き裂いてやりますね。

 

 高校時代の苛烈な思い出はさておき。

幸いなことに、僕は多くの素敵な人とめぐり逢うことができ、この四半世紀の間で、結構いろんな恋をしてきました。近所の4つ年上の人への初恋、高校時代の3年間の片思い、大学でのDV予備軍彼氏と二股男彼氏との出会いなど…(途中から意識が遠ざかる)。

以上の経験を経て、改めて人魚姫を読み返したところ、高校時代とは少し違った目線で物語をとらえることができました。やっぱり王子様への怒りはありますが…。

 

 第一に。「恋って、こういうものだよね」という理解が生じました。

相手のために何もかも投げ出しても、尽くしたとしても、その分愛情が返ってくるとは限らない。まさしくすべての努力が泡になるような、一種の賭けのようなものです。でもそれは決して理不尽というわけではありません。恋した相手が自分の胸の内を知らないのも、努力を知らないのも、当然のことです。相手が自分に思いを向けてくれないのだって当然のことです。相手は一人の人間なのですから。

 か弱い足は、するどいナイフでつきさされるようでしたが、いまはそれを感じないほどに、心のきずは、もっともっと痛んでいるのでした。
 お姫さまには、よくわかっているのです。今夜かぎりで、王子の顔も見られません。この王子のために、お姫さまは家族をすて、家をすてたのです。美しい声もあきらめたのです。くる日もくる日も、かぎりない苦しみをがまんしてきたのです。それなのに、王子のほうでは、そんなことは夢にも知らないのです。 -同上

恋ってきっと、こういうものです。例えば王子様が彼女の健気さを知ったとしても、彼女のことを好きになったでしょうか?僕はならなかったんじゃないかな、と思います。

 

 第二に。「人魚姫は、愛するということを知ったのだな」と思いました。

愛する、という動詞は人によって大きく定義が異なると予想されるため、以下、僕の定義を提示しようと思います。

「自分自身のために相手のことを考え、真心を込めて尽くすこと」。

物語の中で、僕が最も心打ち震えたのは、人魚姫が、王子様のことも、王子様の花嫁のことも、一切恨むそぶりも妬むそぶりも見せなかったところです。

彼女はほほえみを浮かべて踊り続けました。心の傷が痛んでも、ほほえみを崩さず踊り続けました。王子様が夢の中で花嫁の名前を呼んでも、ナイフを海へ捨てて、泡になって海に溶けました。怒り狂って刺し殺すことも、さめざめと泣きとおすこともできたのに、彼女はどちらも選ばなかった。

 僕はここで、姫の家族のことを思うと胸が痛みますが、同時に、彼女の聡明さと深い愛に震えます。王子様に会うために何もかも捨てたことは、王子様に会いたいという自分自身の目的のためだったということ、苦しみをがまんしたのも王子様に愛されたいという自分のエゴのためであったということをちゃんと理解していた。納得し、受け入れていた。だからこそ彼女は「ただ死ぬことだけを思っていた」。

 

 第三に。「人魚姫は救われたんだな」と思いました。

アンデルセンは最後、「魂を授かる」ということを希望として物語の結びとしています。愛して、愛して、愛しぬいた。人魚姫は両思いになれなかったし、王子様から彼女が望んだ形で愛されることもなかったけれど、最後に自由になった。彼女が本当に憧れていた「魂を得る」という望みをかなえることができた。

報われなくてもいいから、と、思った。 瀬田の想いが、塚本美登里の想いが、間島昭史の、私の想いが、どうか救われますように。 その先に、光がありますように。願った。願った。-西加奈子『白いしるし』

  上記は私の好きな本の一節ですが…。

上記の言葉をお借りするならば、人魚姫は、報われずとも、救われたのだ、と言えるかもしれませんね。

 

 気が付けば2千文字を越しました。思ったより熱く語りすぎてしまった…。

人魚姫は、恋をするということの本質を見せてくれる物語だと勝手に思っています。尽くしても報われない。愛しても愛されるとは限らない。今は幸せでも、長くは続かないかもしれない。それでも、愛する。彼女は自分の舌を捧げるときに覚悟を決めたのでしょう。自分の人生をかけて愛する、と。

 

 愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。- ユーリッヒ・フロム『愛するということ』

 

 今回はこのあたりで。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

С любовью.