なりたい自分

 

 「人が自分自身のありのままの姿を見つめる能力、勇気を持たない限り、変化は決して起こらない」-ブライアント・マッギル

 

 

 皆様こんばんは。突然ですが、皆様は「なりたい自分」というものをお持ちでしょうか。本日は、僕の中のなりたい自分…「理想像」の変遷についてお話していきたいと思います。

 

 

 【かつての理想像】

 以前の僕は「ならなければならない自分」としての理想像が常に存在していました。具体的に例を挙げるとすると…

「人に親切でなければならない」

「好きな人はすべてを好きでなければならない」

「失敗してはならない」

「真面目でなければならない」

「年長者の言うことには従わなければならない」

など。

 大学時代、親友Kにはよく「自分で自分の首を締めあげているようで痛々しい」と言われていました。率直な物言いですね。当時は言われるたび「お前に何がわかる」と青臭い打ち返しをしていましたが、今振り返ると本当にKの言う通りだなと思います。

 「~しなければならない」の先にあるものは、いったいなんだったのでしょうか。しなかったら、どうなるというのでしょうか。僕は自分にそういった制約を施すことで何を得ていたのでしょうか。

 

 また、僕は「~するべき」という思考の持ち主でもありました。具体的な例を挙げてみましょう。

「物事は正当な手順を追って正攻法で達成するべき」

「相手のことを好きなら、自分の時間を削ってでも相手のために時間を割くべき」

「相手を大切に思うなら、相手の気持ちを思いやってしかるべき」

「時間に遅れないように来るべき」

「自分勝手な行動を慎んで仲間に貢献する行動をすべき」

など。

 「~すべき」の根拠となるものは、いったいなんだったのでしょうか。がちがちに固まった手前勝手な価値観だったようにも、偏見だったようにも思います。たとえ根拠があったとしても、自分や他人に制約を施したところで何になるというのでしょうか。何を目指していたのでしょうか。ただただ自分が苦しいだけだったように思います。

 

 私は、小学校から高校までは、祖父母と父の提示した枠を、大学時代は外枠のはっきりしていない制約を守ることが、自分の理想の姿であると信じて疑っていませんでした。

 

 

 

 【「理想像」という制約】

 最近とある経験をいくつか経て、初めて、窮屈な自分に気が付きました。

ありていに言えば、めちゃくちゃ、しんどかったんです。

自信も育たないし、あれもだめ、これもだめ、あれもできない、これもできない、そんな気持ちばかりがぐんぐん伸びていきました。どうしてそうなんだろう、と考えた結果、「なりたい」自分が存在しないことを突き止めました。

 

 理想に向かって前向きに取り組んでいると、自分がやっていたことにそこそこの誇りを持っていたのですが、よく考えると、制約の根底に「なりたい自分」がなかったのです。

「~したいなら、~しなければならない」「~したいなら、~すべき」という文脈はあってもいいのでしょうが、その前提となる「なりたい」が僕にはなかったのです。気付いたとき、めちゃくちゃ驚きました。正直唖然としました。なりたい自分ってなんだろう。自分はどうありたいんだろう。どうしたいんだろう。

 皆無だったかと言われると、そうではなかったのだと思います。もともとはきっと、「こうなりたい」が前提として存在したはず。けれど自身について思考を深めることを放棄した結果、いつの間にか、「なりたい」の手段であるはずの「~しなければならない」「~すべき」が目的になっていたのです。目標が定まっていないのに頑張り続けるのは、そりゃ、しんどいわ、と思いました。

 

 よく友人からは「理想が高い」と言われていたのですが、そもそも理想自体がなかったとは思いもよりませんでした。僕にあったのは、いつか自分が施した制約だけでした。なんてこった…

どうりで、仕事でも私事でも他者に何か指摘されたときに揺らぎやすいわけだ、とも思いました。なりたい自分がしっかりしてさえいれば、「指摘が自分にとっていいものか悪いものか」の判断がつきます。僕には「仕事のできるできない」「他人にとっていい人か否か」というフィルターしかありませんでした。「なりたい自分にとって適切か否か」というろ過装置があれば、私が飲む水の苦みが減っていたかもしれない。ここまで他人の言動に左右されなかったかもしれない、と思いました。

 

 

 

 【今の理想像】

 現在は、「なりたい自分」を模索中です。どんなふうになりたいのか、長らく放置していたせいかなかなか声の聴き取りづらい自分と話し合いながら、目標像を形作っています。近いうちに、このブログで報告をしたいなあと考えているところです。

探索方法としては

・自分の身近にいる尊敬できる人のいいところを挙げる

・自分がかつて嫌っていた人の「こうはなりたくない」という部分を挙げる

・どんなふうになれば自分を好きになれるか

の3つを採用して探っています。

 また、同時並行で、現状把握も実施中です。

今の自分はどんな自分なのか。いいところはどこで(ここを怠ると、自分自身を省みているのではなくただ責めているだけになります)、悪いところはどこなのか。

「なりたい自分」を、今の自分を批判し傷つけるための自傷行為道具にしてしまわないために、自分が本当に向上するために、現状を把握することはとても大切なことだと考えております。

 

 よりよい人間になりたい。自分の大切な人のために、自分を大切にしてくれる人のために、何よりも、自分自身のために。

 

 

 

 最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

今日ここでお会いできましたこと、心から光栄に思います。

読んでくださった方の明日が、今日よりもうんと幸せであることを願いながら、今回はこのあたりで手を休めようと思います。

またお会いできれば幸せます。

 

Спокойной ночи!